死ぬのは悪くない。だから不安に思うことは何もない。ワクワクする方向へ突き進んでいこう。

他人に迷惑をかけること、または罪や過ちというのは、すべて不安に端を発している。

そして人生におけるその「不安」とは、死への恐怖から生じている。

 

あなたは日々の生活で、どんな不安を抱えていますか?

そしてその不安が原因で、他人に迷惑をかけていませんか?

例えば、

仲間外れにされるのが怖いという不安から、思わず発言を控えてしまったり、

また、お金への不安から、詐欺まがいの行為で汚い金稼ぎをしたり、ドラッグに手を出してすべてを忘れようとしたりしてしまうことがあるかもしれない。

これらの不安、そして他人に迷惑をかける行為は、実は死に結びついている。

友達=生活のパートナーを失うということは、死につながる。

またお金=衣食住に対する不安が、死と結びついているのは理解に難くないはず。

生活の全ての不安は死への恐怖、死への不安に基づいている。

だからこそ、生きている限りは人間は決して不安から逃れられないのかもしれない。

だからこそ、不安に駆り立てられ、生きている限りは過ちを犯し続けるのかもしれない。

 

しかし本当にそうだろうか。

ここで死とは一回離れて、別の視点から考えてみる。

人間は、不安が原因で罪を犯してしまう。

罪とはすなわち、他人に迷惑をかけることだ。

他人に迷惑をかけることはよくない。罪を犯すのは良くない。

だからなるべく罪は犯したくない。

 

しかし、他人に決して迷惑をかけない生き方など、本当に存在するだろうか。

僕は断言する。存在しない。

どんなに他人を思いやって生きても。どんなにパートナーや友達を大切にしても。

人間は生きている以上必ず誰かに迷惑をかけて生きている。

例えば誰しもが使っているであろうスマートフォン。

スマートフォンを作るのに欠かせないレアメタルはその希少性ゆえ、鉱脈やその用途、生産高の取り分などについて争いが絶えない。

スマートフォンがあなたの手の中に届くまで、どれほどのおびただしい血が流れているだろうか。

たとえ血という表現が大げさだとしても、どれほどの労働者が日本の常識とはかけはなれた労働環境で働かされているだろうか。

資本主義によって築かれた現代先進国で生きる以上、僕たちのこの豊かな生活は、地球上の誰かに、地球上の何かにしわを寄せることによって成り立っている。

誰にも迷惑をかけずして生きることなど、すなわち罪を犯さずに生きることなど、不可能。

あなたが生きていることは、誰かにとって迷惑なのだ。

 

では、あなたは死ぬべきなのか。

迷惑をかけているならば、罪を犯しているのであれば、死ぬべきなのか。

死ぬことを選べば、もう誰にも迷惑をかけることはない。

一人の人間が消滅すれば、代わりに誰かの苦しみも消滅する。

こう考えると、死ぬことってそんなに悪いことじゃなくありませんか。

そう、死ぬことはそんなに悪いことじゃない。

 

でも、死ぬ必要もまったくない。

 

そう考えると、不安がなくなってくる。

死ぬのが怖いからこそ生じていた全ての不安。

でも死ぬのはそんなに悪くない。そう考えると、不安がなくなってくる。

不安がなくなれば、不安がもとで間違った行いをすることもなくなる。

 

不安を忘れれば、あなたはなんだってできる。

心惹かれるあの人にアプローチすることも、

バイクにまたがって全身の血が沸き立つスピードを体感することも、

自分のやりたいことになんだってチャレンジできるようになる。

不安から解き放たれることはつまり、「充実して生きる」ための第一歩なのだ。

 

死は怖くない。

だから予想以上に不安を感じる必要はまったくない。

不安ではなく、自分の感性が示す方向へ。

自分の内から沸き起こる、「ワクワクする」気持ちが示す方向へ。

何も恐れず、ひたすら突き進む。

 

 

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SIM

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